2010年04月14日

1200年燃え続ける灯


不滅の法灯ってご存知ですか?
最澄が中国・天台山から持ち帰った「法理の火」が比叡山に1200年の間、灯され続けています。
その親火(種火)が福岡の古賀市の横大路という民家にあります。
信長が比叡山を焼き討ちにしたとき法灯が消えてしまい、横大路家に火をもらいにきたという話があります。
私(シンアツシン記者)はいつかその家に行ってみたいと思っていましたが、13日に年に一度の毘沙門天のご開帳があるというので、法要に参加しました。
西暦805年、最澄が唐から戻ったとき福岡県古賀市の海岸に上陸し、
布教の場所を探しました。
それを手助けしたのが猟師の源四郎でした。
最澄はしばらく源四郎の家に滞在しながら布教しました。

横大路家.jpg

そのお礼に自ら彫った「毘沙門天」と「法理の火」を授けました。
他に望みはないかと尋ねたところ、干ばつの地だったため、「良い水を得る方法を教えてください」と願いました。
最澄が土地を選び杖を突き刺すと、そこから清水が湧き出てきました。それが「岩井の水」といわれています。
この「毘沙門天」「法理の火」「岩井の水」を守り続けると、子孫が絶えないと言い残し最澄は旅立ちました。
源四郎と最澄が出会った日が6月13日ですが、田植えで忙しいため 明治になってからは4月13日に、年に1度の法要が開かれ毘沙門天のご開帳があります。

毘沙門天・最澄彫刻.jpg

横大路の名も最澄が与えたと言われています。
最澄の言葉を守り続け、現在45代続いています。
44代目の母ハツノさんは92歳まで70年間、かまどの火(法理の火)を一日もかかさず灯し続けてきました。
宿泊旅行には一度も行ったことがないと言われます。

法理の火.jpg

「継続は力なり」といいますが、1205年間、一日も欠かさず火と水を毘沙門天に供え続けた苦労は、そんな言葉では到底言い表せないものがあります。



posted by shin at 12:04| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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